歌舞伎よもやま話「義経千本桜・いがみの権太」/ 語り:大城戸建雄
こんにちは。手ぬぐい専門店 麻布十番麻の葉です。
今回の歌舞伎よもやま話は「義経千本桜」にまつわるお話です。
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語りは大城戸建雄氏です。麻の葉の歌舞伎手ぬぐいの原画を手掛け、歌舞伎に精通している大城戸氏による『歌舞伎よもやま話』をご堪能ください。
歌舞伎よもやま話「いがみの権太」
「そんなゴンタばっかり言うたら、おやつ抜きやで」「うちのゴンタはいうこと聞かんで親泣かせですわ」・・・筆者の子どもの頃にはこんな言葉をよく聞いたものだ。
「ごんた」とは関西地方の言葉で、ダダをこねて、言うことを聞かない子どもを指していう。それが発展して腕白小僧や強情な性格の持ち主に当てはめる。
この「ごんた」、義経千本桜の三段目、「椎の実」「鮨屋」の場に出てくる『いがみの権太』から来ているのはご存知だろうか。いがみは、「ゆがみ」から来ているという。
義経千本桜の三段目は、義太夫狂言の味を尊重し、野暮ったさと愛嬌を加味した實川延若や中村鴈治郎の上方風と、菊五郎系の江戸のべらんめえ調子の粋な布瀬で演じるのとがあり、観客にとっては両者ともに捨てがたい。その違いがよくでているのが主人公のいがみの権太という人物像である。
江戸風の権太の演出は、五代目松本幸四郎(別に鼻高幸四郎と呼ばれた名優)が作り出したと言われている。それが三代目尾上菊五郎を通して五代目菊五郎に伝わり、六代目菊五郎が今日の演出を作り上げ継承されているのが主流で、舞台は大和(奈良県吉野)だが、べらんめえ台詞を言う、行きな江戸っ子に仕立て上げられている。
さらに、いくらか愛嬌と色気が無ければならない役柄である。「椎の実」で、小金吾に言い掛かりをつけて二十両を巻き上げる手口などは、俗に言うチンピラヤクザ的で、切る啖呵にも悪党らしい凄味を感じさせなければならない。小金吾が堪りかねて刀に手をつけたのを、腰を片あぐらに落とし、左足で制止する所の型など小気味好い。
そんな悪党も、茶店で働く女房と息子に出会った時には、夫と父親らしい真顔がのぞく。この辺り野暮になっては、芝居の面白味が欠けるので難しいところであるが、女房と子どもとの再会に喜び、ひと時の幸せを感じる場面を素直に見せることで、さっきの悪党にこんな色気と優しさがあったのかと観客をホッとさせる。
権太の本音は根っからの悪党ではなく、良い家の我儘で育った放蕩息子の心根があることで、鮨屋の場面での芝居運び(母親からせしめた三貫目の金と父親が入れた小金吾の首の桶の差し替えなど)ゴンタクレの息子でありながら父親や母親への愛情の表現が所々ににじんでくるのだ。
すし桶を持って駆け出して行き花道で見得を切るが、江戸風では権太役を作り上げた五代目松本幸四郎にあやかって権太の左の眉尻の上に、『ほくろ』をつけるのが習わしになっている。
梶原に内侍と六代を召し取ったと差し出すが、菊五郎系では右足でたち、右手で身代わりの息子の善太の顔を上げ、左足を上げて同じく身代わりの女房小仙のアゴにかける型は、一瞬絵画的様相を呈して観客がハッと息を飲むところである。上方の延若は二人の間に入って両手を広げ、下から二人のアゴに手を掛ける演出であったと聞く。
先人の劇評家の大概がこの三段目の演出は江戸風に軍配を上げている。小山内薫氏はこの三段目の権太の悲劇がこの芝居全体を通して一番傑出していて永続性があり、他の場面は消えてしまってもいいとまで言い切っている(季刊雑誌歌舞伎 第九号 青江舜二郎氏「権太の悪」より)そうだ。
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